環境史研究会 第7回ワークショップのご案内
木曜日, 11 月 17th, 2011 Posted in 研究会等案内 | No Comments »みなさま 環境史研究会の案内です。竹本さんからの案内を掲載します。 環境史研究会メンバー各位 竹本です。 すっかり涼しくなって、東大本郷のイチョウも色づき始めました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。 第7回環境史研究会ワークショップのお知らせです。今回は、主に森林をテーマに3人の方に報告をお願いします。 「日本前近代の森林資源開発と日本人の自然観」について脇野博さんが、「巨樹・巨木からみた薪炭業の生物多様性へのインパクト」について谷口忠義さんが、「ドイツ各邦の森林法と1942年の帝国森林法案」について石井寛さんが発表されます。奮ってご参加ください。ワークショップの後には忘年会(懇親会)も予定しております。あわせて参加いただければ幸いです。 【日 時】 2011年12月17日(土)13時〜18時 *開始時間がいつもより1時間早くなっています。お気をつけください。 【場 所】 東京大学農学部1号館 3F農経会議室 *前回(第6回ワークショップ)と同じ場所です。 【発表題目と概要】 脇野 博(秋田工業高等専門学校人文科学系)「日本前近代の森林資源開発と日本人の自然観」 中谷巌氏は、脱原発は「自然は征服すべきものというベーコンやデカルトに始まる西洋近代思想を乗り越え、『自然を慈しみ、畏れ、生きとし生けるものと謙虚に向き合う』という、日本人が古来持っていた素晴らしい自然観を世界に発信する絶好の機会になるのではないだろうか。」(2011年6月14日 産経新聞「正論」) と述べられたが、はたして日本人は古来から本当に中谷氏が言うように自然と接してきたのであろうか。笠谷和比古氏は、上記のような自然を大切にするという日本人の自然観に対してすでに疑義を呈しておられ、私もこれまで日本の林政・林業史研究に取り組むなかで、疑問を持つようになった。そこで、日本近世の林政・林業に関わるいくつかの事例を通じて、前近代日本人の自然観の再検討に向けて問題提起をしたい。 谷口忠義(新潟青陵大学短期大学部)「巨樹・巨木からみた薪炭業の生物多様性へのインパクト」 日本には数百年あるいは千年以上の時を落雷や病虫害・獣害を乗り越え,同時に人間による伐採を免れてきた歴史的な遺産である巨樹・巨木が存在する。現在68,000本ほど存在するそれらの巨樹・巨木のうち薪炭適合樹種は約1割強である。なぜそれらは伐採を免れてきたのか。経済的なインセンティブからその理由を考えてみた。薪炭用の樹種は,木材固有の性質や運送上の技術,輸送コストといった要因と,需要の有無と規模により,そのまま放置され巨木に向かうか,薪炭として利用されるかが分かれた。炭生産では大木よりも炭木をそのまま焼くことを経済的に選好しており,百年以上の大木は後回しにし,同じ樹種であれば細い木から伐採することになる。そうした選好が生まれる理由は,大木から焼いた炭は爆跳するなど家庭での使用時に不都合な炭だからである。また,生産サイド(費用)面からいえば,窯詰用の伐採に手間が余計にかかるからであった。薪生産では木炭とは逆となっていた。 石井 寛(元北海道大学)「ドイツ各邦の森林法と1942年の帝国森林法案」 森林の維持と保全,森林の持続的管理を課題とする森林政策は森林法を根拠法としている。各国の森林政策の歴史と展開過程を見る場合,どのような森林法が制定されているのか,その特徴がどのようなものかを把握することは必須の作業である。私は今回の報告でドイツの森林法を取り上げたい。ドイツの近代の森林法はフランス革命の影響を受けて,1811年にヘッセン,1833年にバーデン,1852年にバイエルン,1875年と1879年にヴェルテンベルクで制定されている。その内容は州有林と公有林の森林官による国家管理,私有林に対する営林監督であった。帝国レベルの森林法を制定しようとする試みは1919年以降,あったもののプロイセンやバイエルンの反対で具体化されなかった。その試みが具体化したのはナチス期であった。林政学者のEbertsやAbetzの努力によって1942年に帝国森林法案が作成されている。同法案は議決されなかったが,その林政思想は第2次大戦後の1950年のラインラント・ファルツ州や1954年のヘッセン州の森林法に影響を与えるとともに,1975年に制定された連邦森林法にも引き継がれている。本報告では19世紀の各邦の森林法について説明するとともに,1942年帝国森林法案の内容を明らかにして,戦後への影響について説明したい。